略歴
沖縄尚学から、琉球大学法文学部に進学
大学1年から大手学習塾で
私立中受験クラス算数、
中学の数学クラスを担当
その後、私立中学、私立高校受験専門の家庭教師を5年間、
同時に、家庭環境に複雑な事情を持つ子供達のサポートに携わる。
1998年、知人の紹介で
大里グリーンタウンの塾で中学校部門を専任
大里での1期生が殆ど向陽(理数)、沖尚に進んだため、
自宅にて高校もそのまま受け持つ。
2003年、高校部門を切り離す形で独立し、
現在のスタイルの、宮城塾をスタート
以降、小学校から大学受験まで、
母校・沖縄尚学の名城校長の提唱する、
「人間力教育」を実現するべく、
総合的に指導する独自のスタイルを確立し、
現在に至る。
劣等生で多動タイプの子供時代
私自身、小学校、中学校まで、かなりの多動傾向の強い子でした。
授業を集中して聞くことが苦手だった為、教師に常に叱られ、
自己肯定感が低く、
勉強も得手不得手がはっきりしていました。
中学校では席次が出て、多動の生徒特有のケアレスミス連発で、
出来た!と自信があるのに、点数も低く、
席次も、勉強すればするほど下がっていきました。
部活動が強かったこともあり、
1、2年は部活に専念しているフリをして
イヤな勉強から逃げていました。
中3になり、入試を意識して塾を探しました。
私のように学校での授業態度も悪く、
素行も宜しくない生徒は、
入る前から警戒されました。
そんな中、友達に連れられ、
評判の良い塾に体験で入るものの、
もともと授業を聞いて理解するのが苦手であり、
また、小学校からの遅れもあって、
全く時間の無駄でした😅
大卒の叔母に家庭教師をしてもらっても、
何が分らないのか、どこから分らないのか
自分でも全く分らず、さじを投げられました。
それでも自分を諦めたくない!
という強い思いがあったため、
誰も教えられないなら、自力で独学するしか無い!
そう切り替え、本屋に足を運んで参考書探しを始めます。
勉強をしたことが無いため、
出来るだけイラストが多く、
カラフルで、目に優しいものを探します😀
その時に学校の授業の範囲を見て、
分かりやすいものを選びました。
もともとが、興味を持つとトコトンこだわる性格の為、
参考書マニアになるほど、本屋通いをし、
休日は2時間以上も参考書コーナーで立ち読みするほどでした。
そんな中で、自分が
どの部分から分らなくなっているのか、
何で”つまずいて”いるのかを分析し、
ひとつひとつの”つまずき”を克服して行きました。
中3、2学期の中間では、当時340人在籍の中学で、
席次280番→30番まで一気に上がりました。
中3の時期というのは、
もともと成績の良い生徒達が、
塾の夏期講習で過去問題などを使い、
特訓して来るため、そうそう席次は動かないものですが、
その中学の過去問題を一切見ずに、
実力だけでその席次まで上がったことで、
周りからも一目置かれ、
自信を持つことが出来ました。
その時からは、独学で学ぶ方法を身につけ、
「人に聞くよりも自分で調べた方が早い」
という勉強スタイルを身につけました。
分りやすい参考書を何冊も研究したため、
自分で、より分りやすい「まとめノート」を作り、
そのコピーを、勉強が苦手な親友達に渡し、
一緒に勉強する中で、勉強が楽しくなり、
理解も深まっていきました。
この時の勉強スタイルが今の塾の指導法に繋がっています。
中略
学力だけは劇的に上がったものの、
結局内申点が悪く、公立高校は
目標とするレベルに進めないと言われ、
実力だけで入れる私立高校(沖縄尚学)に進学しました。
そして独学が重要となる、
高校からの勉強では、一気に成績は上がりました。
高校2年は部活にのめり込んで学業を疎かにした時期がありましたが、
人に習わずとも、参考書で独学して学ぶ力を付けていたため、
大学受験は部活引退後、鬼のような追い込みで現役合格出来ました。
教育に携わる仕事へ思い(教育理念)
高校時代は、将来やりたい仕事として、
様々なものが頭にありました。
ただし、
どのような仕事をするにせよ、
最終的には教育に携わりたい
という思いは不変、一環していました。
それは、私自身の経験から、
どんなに出来ないと思っていても、
アプローチを変えて見ることで、
必ず克服出来ること、
日本式の学校システムで潰されてしまう
多くの才能を救い、
開花する手助けがしたいという思い、
また、高校時代に人生を救ってくれた恩師への
語り尽くせないほどの感謝の気持ちがあったからです。
当塾には、私自身が多動タイプの子供であったため、
不思議と、同じように多動の子供達が多く集まってきます。
授業中、平気で立ち歩きながら一問一答をしたり、
とても自由奔放です。
家庭教師をしていた頃の想い出ですが、 5秒とジッと座れない小学生を預かりました。 ADHDタイプで学校からは弾かれた子です。 公立の中学へ行けば、確実に不良扱いで人生が めちゃくちゃになると心配した両親が、 なんとか私立中学に進ませたいという希望がありました。 小6で預かり、学力は小1レベルから躓きがありました。 それでも、ADHDタイプ特有の、熱中したらトコトン集中する、 よい特性を持っています。 座れないなら、お互いに立って授業すれば良いと考え、 スタンディング・デスク方式で勉強したり、 キャッチボールしながら一問一答したこともあります。 バランスボールを買ってもらい、それに座って プニプニと揺れながら問題を解かせていました。 そうすると、長時間集中力が続きます。 あるタイミングから、自らイスに座って、 落ち着いて勉強するようになりました。 彼は熊本の有名な私立中学へ合格し、 高校・大学はハワイの(オバマ大統領の母校)へ進学し、 現在はアメリカ人と結婚して個人経営の会社を運営しています。
当塾では、自由なスタイルで勉強する環境でも、
他の生徒が真剣に頑張っているのを邪魔することはありません。
そしてテスト前など、
集中するべき時には、
チームメイトのようにみんなで協力し、
恐ろしいほどの集中力を見せてくれます。
エネルギーの有り余っている多動気味の生徒は、
現在の学校システムの中では潰されがちです。
勉強の効率よりも、ただ決まった時間、
おとなしく席に座っている事が求められるからです。
新しい時代の才能であるはずの、
子供達の多動的な好奇心を潰さず、
最大限に伸ばし、そのエネルギーを
正しい方向へ導いてあげることは
とても重要な教育の役割だと考えています。
ルールを守る社会性は、
友達と切磋琢磨し、共に学び成長する中で、
仲間を大切に思う心、
友情を育むことで十分に身につけることが出来ます。
私の教育理念と人生観
子供達の素直な行動を全面的に肯定し、認めることで、
人との繋がりの温かさの中、思いやりの心を育み、
その友情から、他人を思いやる社会性も身につけられる、
そういう基本的考えで向き合っています。
ひとり一人が、
それぞれ持った特性を最大限に伸ばし、
互いの特性を認め合い、支え合うことで、
より良い社会を実現していく、
社会に必要とされる人材の育成、
自分だけ良ければいいという考えでは無く、
自分が成長することで、自然と周りから必要とされ、
それぞれ、違った得意分野を持った人が集まり、
協力し合うことで、
より良い環境、社会が実現出来る。
そして一人の力だけでは決して出来ないことを
成し遂げられる。
そういう理想を実現するため、日々、
子供達と向き合っております。